8月19日~23日までの5日間の夏休みの体験的社会科研修日記 7
8月21日(水)午前.5:30自宅発~午後9:40自宅着
神戸⇒大阪⇒京都⇒名古屋
大阪の巻
今回の大阪訪問の主な目的は
①30年ぶりに大阪を訪れるがその変貌ぶりをこの目で確かめること
②主要観光スポットを写真に収めしっかり見学、観察し、想像力を働かせること。
③タクシーの運転手の説明を聞くことの3点である。
「お盆は観光客で道が混んでたいへんだったのではないですか。」
「いや、道はふだんよりすいているくらいです。
観光客は私鉄や地下鉄を利用して移動する人が多いし・・・」
「大阪の街は一方通行の道が多いです、
ちょっと回り込んで道頓堀に行きますね。
地元の私たちからいわせると
なぜここが観光客に人気なのかわからないです。」
「大阪は水の都だったので 橋がつく地名が多いです。
中之島は運河が交わっているから
少しはそのことが実感できるかもしれません。
次はそこにしますね」
タクシー運転手のちょっとした生活者目線の地理の話が興味深い。
ほんのわずかな時間の見学だったが、
江戸城のそれより水深が深く、幅も広く、
石垣は巨石が多く使われていることが実感できた。
大阪城のお濠と石垣 2019年8月撮影
旧江戸城のお濠より深くそして幅が広いように感じる。
大阪城天守閣 2019年8月撮影
四天王寺は高さ日本一の超高層ビルあべのハルカスのすぐ近くにあった。
あべのハルカス 2019年8月撮影
この角度 位置からだと日本一の高さに見えない!
この頃からすでに神仏習合の影響があったのか
大きな鳥居も真正面に見える。
何とも言えぬ不思議で謎めいた驚きを感じた。
次に道頓堀経由で中之島に立ち寄る。
道頓堀 2019年8月撮影
行き来する人々がマスクをしていないのがなぜか不思議に思える
中之島 2019年8月撮影
中之島公会堂 2019年8月撮影
国指定重要文化財 集会施設
江戸時代に、淀川河口の水運が発達するこの地に
各地の特産物が山と積まれた船が幾千艘と行き交い、
全国の藩の蔵屋敷が集中し、
堂島では米市場が賑わっていた。
その光景がありありと目に浮かぶ。
ところがどのようにして中之島がその後
「天下の台所」大阪の大都市発展のシンボル的存在
になっていったのかもっとはっきりとした映像
(当時の人気商品は?大阪の商人はどのようにして利益をあげていたのかなど)
が頭に浮かんでくるように資料を読み込んでいかなければならないと思った。
梅田スカイビル 2019年 8月撮影
最後に梅田のスカイビル前で降ろしてもらい、
そこから梅田駅まで歩いて地下鉄で新大阪にもどった。
日本の私鉄発達のルーツともいうべき梅田駅
ここもターミナル駅として
駅前がにぎわった昔の面影がないように感じる。
周辺は再開発で複合商業施設の高層ビルが立ち並ぶ
近未来都市風に変貌している。
「新幹線の新大阪駅前は繁華街がないが、
私鉄の梅田駅に行くと昔ながらの繁華街があり、
たこ焼きやお好み焼きの店がいくつもあり、にぎわっている。」
のネタが使えなくなるのか。
その繁華街も人波も
迷路のような地下街に舞台が移された感じがする。
しかし、去り行く昭和は大阪に限ったことではない。