築地はすごいところ

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築地はすごいところ!

築地は魚市場としてずっと有名だった。

豊洲に移転してからも築地ブランドは健在)

しかしこの地は明治維新のころ、

銀座より先に煉瓦造りの洋館が立ち並び、

外国人の居留地として栄え、

 

 

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築地 外国人居留地  2010年2月撮影

青山学院、立教学院などミッション系スクール発祥地

横浜は貿易商人等が多く、築地はキリスト教宣教師が多く移り住む。

 

 

幾つかのミッション系の学校の発祥地となったところでもある。

そればかりではない。

解体新書の翻訳がおこなわれたところであり、

慶應義塾発祥の地であり、

赤穂浪士の主君浅野長矩の屋敷があり、

坂本龍馬が一時寄宿生活を送った土佐藩中屋敷

勝海舟が教授を務めた軍艦操練所があったところでもある。

 

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解体新書翻訳・慶應義塾発祥の地 2010年2月撮影

 前野良沢屋敷跡 ここで杉田玄白らと解体新書

 の翻訳をおこなう。

 約100年後福沢諭吉がこの屋敷で塾を開く

 前野良沢福沢諭吉は同じ中津藩(大分県)の出身である。

 

さらに芥川龍之介の生誕地であり、

明治時代になり新聞など出版文化を支える

「活字発祥の地」も築地で

携帯電話のルーツともいわれる

電信創業の地でもあったということがわかった。

これら一つ一つの歴史的事実は人間の営みの集積である。

この地に暮らしていた福沢諭吉前野良沢坂本龍馬

そして東京出身の勝海舟などの教科書に載っている歴史上の人物といえども、

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勝海舟銅像 浅草 吾妻橋渡って墨田区役所近くにある。2009年4月撮影

上野の西郷さんの銅像と同じくらいというか

東京出身者の勝海舟銅像もっと有名になってもいいのではと思う。

 

青年時代剣術の腕を磨いた道場跡地の近くに建てられた。

勝海舟の生誕地は現在の両国駅から徒歩数分のところ

なんと赤穂浪士討ち入りの吉良邸の近くにある。

 

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無血開城会見地  JR田町駅徒歩数分のところにある。2009年撮影

勝海舟は江戸の無血開城にも貢献した。

東京(生粋の江戸っこ)出身のヒーローといえる。

 

一人の生活者としての人生がまずあり、

さまざまな人間関係があり、

喜怒哀楽があり、

衣食住の生活の連続があったはず。

また、日本は開国してから、

この地で欧米の外国人との交流があり、

すすんだ文化を積極的に摂取し、

より住みやすい生活、便利さ、快適さを求め、

それらの動きが文明開化

そして首都東京の大発展につながっていった。

そういう生活者の視点から

生きた知識が創られていくのではないか

というひらめきが自分の中に電撃のように走った。

このような生活と結びつく視点から得られた知識と

知的好奇心を喚起するような知識をもとに

授業を組み立てていけば、

生徒が乗ってくれ、面白い授業が実現できるのではないか。

この信念をもとにしてそれ以後も試行錯誤を繰り返しながら、

私はかつて社会科が知識偏重と

厳しいバッシングにさらされた暗記的知識ではなく、

「生きた知識を創る」ことが

社会科の授業づくりの基本となるものであり、

本来のあり方であるという確信をもちながら、

教材研究を積み重ねていった。 

その成果を授業実践中心に原稿にまとめ、

60歳の時には読売教育賞優秀賞をいただくことができた。

60歳以後も今年の3月65歳で引退するまでの間、

非常勤教員としてこの授業づくりに専念した。

そして今回は

「生活者の視点から生きた知識を創る体験的社会科研修のすすめ」

と題して社会科教師の側に立った研修を中心とする

実践報告書をまとめることにした。

昨今教師の多忙化で教材研究や

研修の時間がなかなか確保できない中で、

多岐にわたる業務に奮闘される先生方の負担の軽減と

日頃の授業づくりのヒントになればという思いを念頭に置きながら、

私の社会科教師生活の卒業実践報告の意味合いも込め、

昨年の4月からこの研修への取り組みをスタートさせた。

 

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このブログのタイトルの背景に選んだ写真は築地にある聖路加病院の裏手から眺めた隅田川の景色。

築地は東京湾に流れ注ぐ隅田川の河口あたりにあることがよくわかる。2009年2月撮影

 

 ・・・続く